ぼすっ、ぼすっ、1日中降り続いている雪が積もる道は一歩進むたびに音がする。吹雪いてはいなかったが、到底「粉雪」などとは言えない大きさの雪が1日中降っていたため、せっかく親切な誰かが除雪してくれた道はすっかり埋まってしまい、歩くたびに膝の辺りまで足が埋まった。雪が靴の中に入ってくるのが嫌だからブーツを履いてきたけれど、もう5cmくらい積もったらブーツも埋まってしまうだろう。ああ、嫌だ。
更に悲しいことは前を歩く彼が、私のことなんかちっとも気にかけずに、ずんずんと先に行ってしまうことだ。私よりずっと背が高い彼は、降り積もる雪も大した深さではなく、更に雪道に慣れているためあっという間に私を置いていってしまうのである。おかげで私は彼を追うだけで精一杯である。おまけに息も切れてきた。せめて彼が立ち止まってくれたり、優しい言葉をかけてくれたりしたらもう少し元気が出るのだが。私が先ほどからそんな淡い願いを込めて視線を送っていることも露知らず、彼は幾分長いマフラーをはたはたとはためかせながら相変わらずの速さで前に進むだけだった。


程なくして、私が彼に優しさを求めるのに半ば諦めかけていた頃、彼がふっと立ち止まった。彼を追いかけるのに必死になっていた私は危うく彼にぶつかるところだった。


「どうかしましたか、イヴァンさん。」
私より大分上にある彼の瞳を見上げながら尋ねると、イヴァンさんも私の目を見ながら答えた。
「君が随分と大変そうだったから。」
予想外の答えに私は目をぱちぱちと瞬かせた。まさか彼からそんな言葉が聞けようとは。明日は雪でも降るんじゃないだろうか。あれ、もう降ってるか、ならば逆に晴れて欲しい。
「ええ、まあ。随分と大変です。」
「早く言えばよかったのに。」
あなたの方から気を遣ってくれるのを待ってたんですよ、なんてことは言えるわけもないので適当に「はあ。」と相槌を打った。すると彼は不満そうな泣きそうなよく分からない顔をした。はて、私は何かまずいことでも言っただろうか、と少し焦りつつも、いつも(黒い)笑顔のこの人もこんな顔をするものか、と失礼なことを考えた。


「君も思うのかい?」
「はい?」
突然投げかけられた質問に私は更に目をぱちぱちさせる。思う?何を?
「この前国同士の親善会があったでしょ。」
「ああ、はい。ありましたね。」
「その時に酔っ払ったアーサー君に僕の国が寒いのは、僕の心が冷たいからだって言われたんだけど。君もそう思うかい?」


ああ、なるほどそういうことか。アーサーさんの酒癖が悪いのは有名な話だったがそこまでとは。あの眉毛、酔っ払ってたとはいえなんて恐ろしいことを言うんだ。
それにしたって、わざわざ私にそんなことを聞いてくるということは本人は多少なりとも気にしているということか。大変そうだったからと言われたときに、嫌味っぽく返事してしまったことをなんだか申し訳なく思った。彼なら酔ったアーサーさんの悪口なんていつもの笑顔で受け流すとばかり思っていたが、不機嫌そうに話す彼はとても人間くさくてなんだか笑ってしまった。そうか、そうだよな、いつも自分勝手で腹黒い彼にだって傷つくことはあるんだなあ。というかむしろ他の人より繊細なのかもしれない。本当は仲良くなりたいのに傷つくのが怖いから支配しちゃうのかな、なんて勝手に考えていたら、目の前にいる私よりずっと年上で図体も大きい彼が小さな子供に思えて、思わずにんまりとした。


「何が可笑しいんだい?」
私が笑っているのを不機嫌に思ったのか、彼は先程より無愛想な顔で私を見る。
「なんでもありませんよ。 けど、」
「けど?」
私は言葉を区切ると、彼の手を握り自分の手に重ねた。私より大きなその手は温かくて、私の冷たくて真っ赤になった手にじんわりと伝わっていった。
「イヴァンさん、この国が寒いのはですね、きっと人の温かさがわかるようにですよ。寒くて厳しい土地だからこそ、人の体温も心の温かさも一層嬉しく感じるんです。それってすごく素敵なことだと思いませんか。」
私が手を握りながらそう言うと、今度は彼が目をぱちぱちとさせた。(今日は彼のいろんな顔が見れてなんだか得した気分だ。)
「あと緯度が高いからです。」
けらけらと笑いながらそう言うと、彼は私の手を握ったまま、今度は私の歩幅に合わせて歩いてくれた。 これはやっぱり明日も雪が降るんじゃないだろうか。

 

ダーチャまでの道すがら