春のゆるやかな風が曽良くんとわたしの間をすり抜けていく。ふたりの間に沈黙が流れ始めてもうずいぶんと経った気がする。先に黙りこくってしまったのはわたしだけれど。だって、珍しく曽良くんの方から、話があります、だなんて言われてうきうきしながら行ったのにいきなり「僕、明日から芭蕉さんと旅に出ることになりました。」だなんて。あんまり淡々と言われてしまったからわたしは「そうなんですか。」と返すことしか出来なかった。それから曽良くんが「座って話しましょうか。」とわたしを気遣ってくれたのだけど、それに対してもわたしは「そうですね。」としか言えなかった。曽良くんに言いたいことはいっぱいあるのに、頭の中がぐるぐると混乱していて、結局何も言えないままさっきからわたしは自分のつま先を見つめるばかり。曽良くんを見ることも出来ない。

「あの、いつ頃帰ってくるんですか・・・?」
「さあ。もしかしたら3日で帰ってくるかもしれないし、30年くらい帰ってこないかもしれませんね。」
「そう・・・ ・・・ですか。」

・・・ ・・・ 30年。それがどれくらい長いのかいまいち分からなくてわたしの頭の中はさらにぐるぐると混乱する。やっと話しかけることができたのにのに余計悲しくなってきてしまって、瞼の奥のほうがジーンと熱くなった。さっきからの曽良くんの淡々とした態度にも、わたしと離れることについて如何とも思われてないんじゃないかという気がして更に目尻が熱くなる。30年も離れてたら曽良くんはわたしのことなんてすっかりさっぱり忘れてしまうんじゃないだろうか。わたしがずっと曽良くんを覚えている保証だってないのだけれど、こんなにいきなり出て行ってしまって、さっさと忘れられてしまうんだったら本当にあんまりだ。もし・・・ ・・・ もし今曽良くんにわたしの気持ちを言ったら、旅に出るのを躊躇ったり、別れを惜しんだりしてくれるだろうか。少し考えて、なさそうだな、と思った。そうなったらとても嬉しいけれど、なんだか曽良くんらしくない気がしたからだ。

「そろそろ出かける準備をしたいんですが。」
「あ、す、すみません。随分引き止めちゃって。」
「いえ、もともと僕が誘ったので。」
「明日は、お見送り行きますね。」

ありがとうございます、そう言って帰っていく彼の背中を追いかけて捕まえて「ここにいてください。」と言うだけの勇気はわたしにはなかった。もし、わたしにそんなことができたら彼はどうしただろう。少し困ったような顔をして、すみません、と言うのだろうか。ひとり道の片隅に呆けているわたしは、きっと他の人から見たら随分と間抜けだったと思う。


なかなか寝付けないまま朝がきて、とうとう曽良くんと芭蕉さんの出発の時間になってしまった。芭蕉さんと一緒に大袈裟に別れを惜しんでいると、曽良くんは呆れたようにわたし達を見ていた。そんなやり取りがもうしばらく出来ないのかと思うと涙腺がゆるみそうになって、頑張って笑顔をつくった。本当は行かないで欲しい、ずっとここにいて欲しい、だなんて言えるわけもなく。「いってらっしゃい。」と笑顔で見送った。 遠くなっていく彼の背中を見て、涙が止まらなかった。
言いたいのは
そんなことじゃなくて
「最上川をくだろうぜ★」様に提出