ふー、と紫煙を昇らせながら月を見上げるその人は、男性であるのに女の私が羨むほどに美しかった。月明かりと小さな蝋燭の炎だけが照らす部屋にいるのは私と彼の2人だけだった。真っ暗な部屋で蝋燭に照らされる彼の横顔、漆黒の夜に妖しく光る月に照らされる彼の横顔。私はそれをまるで夢を見ているような心地で見つめていた。彼は光と闇、一体どちらを背負っているのだろうか、と、とろんと溶けていきそうな脳の端で思った。
ふー、と再び煙が吐かれ、その紫煙は辺りにたちこめて彼の輪郭をぼんやりとさせた。彼は優雅な手つきで煙管を置くと私にその鋭い目を向けた。途端、私の溶けかけていた脳は現実へと引き戻され、夢心地は名残惜しさも感じさせぬまま弾けていった。


。」


私が姿勢を正し、彼と向き合いまっすぐ見つめると、彼は無表情のままその口で私の名を呼んだ。ゆっくりと、確かめるように呼んだ。
「はい。」
それに応えるように、私もゆっくりと、はっきりと返事をした。それを聞くと、彼は少し目を細め微笑を浮かべた。そして再び言葉を紡ぎ始めた。


「お前に、重大な仕事を言い渡す。」
「はい。」


「重大な仕事」、それを聞いて私は肩に力が入った。普段、食事の準備や宿や船の手配など雑用しかしてこなかった私に一体なぜ重要な仕事が回ってきたのだろうか。そんな重要な仕事を私はきちんとこなせるのだろうか。そんな不安が私の心の中にぽつぽつと浮かび上がってきた。不安や疑問が現れては消え、現れては消え、ぐるぐるとまとまりが無くなった私の頭では返事をすることで精一杯だった。彼はそんな私を察してか、「そう気負わなくていい。」と、その鋭い視線とは違った柔らかな口調で言った。私はそんなに分かりやすく顔に出ていたのだろうか、と恥ずかしくなって顔を伏せたまま小さく「はい」と返事をした。それを見た彼が月明かりの中で少し口角を上げた気がした。



「仕事内容は真選組への潜入だ。」


「お前には女中として真選組で働いてもらう」そう言った後、彼は再び煙管を口に持っていき相も変わらず優雅な手つきで一服した。なめらかな動きにぼうっ、と見とれながら、私は彼の言葉を頭の中で反芻していた。真選組、潜入、女中として働く・・・。つまりは真選組へのスパイというわけだ。幕府の下で動いている真選組にいれば幕府の情報が手に入るし、何より攘夷志士にとって1番やっかいな真選組の情報も手に入れられる。なるほどこれは責任重大な仕事である。
そう納得した途端私はさぁっと青褪めた。この仕事、成功すれば幕府を倒すことは難しくなくなる。しかしもし失敗すれば攘夷志士に対する警戒は強まり、更には私たちの情報を嗅ぎつけられる可能性がある。そんな重大な仕事を私がこなせるなど到底思えなかった。


「わ、私にはそのような大きな仕事は・・・」


「無理です」そう言おうとするより先に彼が口を開いた。
、」
私の名前を呼び、煙管の灰をコツンと落として、それから私へその片方しかない瞳を向けた。薄暗い中でその瞳だけは光を失うことなく妖しく輝いていた。彼は真剣な表情で私を見つめた。その瞳は鏡のように私の小さな姿を映し出している。


「俺はお前を信頼しているんだ。」



続けられたその言葉に私はどうしようもなく泣きそうになった。そうだ。そうだった。私は彼に会ったその時から、この人に一生ついていこうと決めたんだった。この人とこの人の願いのために死のうと決めたんだった。そんな人に信頼されて、大事な仕事を貰ったんだからこれ程幸せなことはない。どこまで出来るかは分からないけれど、彼の期待に必ず応えたい。彼の歩む道を広げたい。それが私の生きる意味であり、彼こそが私の世界なのだ。もし失敗しそうになったら屯所に火を放ち奴等を殺してしまおう。もし火の手から逃れた者がいたらその時は私がこの手で殺してしまおう。もし彼に刃を向ける者がいたらその刃ごとそいつを消してしまおう。
だからあなたはいつまでもあの闇を溶かす月のように美しく輝いていてください。


彼は私の覚悟を決めた瞳を見ると、ふっ、と笑って穏やかな声で言った。


「頼めるか、。」



「はい、晋助様。」


死に別れるその時まで、あなたを守ると誓いましょう。

 



 

までの

 

   きり