「先生、」
雪がちらほらと降り始めた窓の外をぼーっと見ていると、声をかけられた。その低い声を聞いて、私はふわふわしていた意識を彼に向ける。
「どうしたの、土方くん。」
「小論、書き直したから見てもらおうと思って。」
言われて、土方君は私に何度も書き直した小論文を手渡す。何度も、と言っても彼は優秀だから他の子に比べれば大したことはないし、私もアドバイスをするくらいなものだ。
「じゃあ、チェックしておくね。」
「はい、失礼します。」
土方君は一礼すると職員室を出て行った。この学校にしては珍しく礼儀正しい子だ。大人っぽいし、真面目だし、ただ総悟君たちといるときはすごく子供っぽい笑い方をする。きっと心を許してるんだなあ、と思っていたのだけれど土方君に言ったら「冗談じゃないです。」の一言で終わらされてしまった。


と、ここまで来て私は「まただ」と思う。また、土方君のことを考えてしまっている。
最近は特にそうだ。学級委員だし、推薦入試の担当だから会うことも多い。だから、心配で考えてしまうんだろう、そんな風に思ってきた。思うようにしてきた。でも、どうやら違うようなのだ。つい彼の姿を目で追ってしまうのも、呼ばれるだけで嬉しくなるのも、きっと彼のことが好きだからなのだと思う。私はそれに気付いていないフリをして、自分の中に隠してきたのだ。だって「私と土方くん」は「先生と生徒」なのだ。「先生」である私を土方君が好きになってくれるとは少しも考えられないし、仮に彼が私を好きだったとして、それでも彼は何も言わないと思うのだ。だから、私もこのまま彼の「先生」でいたいし、笑顔で彼を見送りたいのだ。そうすれば、こんな気持ちもいつかは良い思い出になっていくに違いない。

 

*

 

時が過ぎるのは早いもので、賑やかなZ組ともお別れである。坂田先生は「あんな奴らが社会でやっていけるか心配だよ。」なんて言っていたけれど、本当は彼らは優しくて良い子だからきっと大丈夫だろう。坂田先生も心の中では同じことを思っているのか、とても楽しそうに微笑んでいた。


土方君は推薦入試に見事合格して、今日もきびきびした動きで最後の学級委員の役目として卒業証書を受け取った。土方君は大学に合格して、まず真っ先に私のところに報告してくれた。電話越しに聞こえる声はすごく嬉しそうで、私まで嬉しくなって目尻が熱くなった。そのときの気持ちも、土方君が言った「先生、ありがとう。」という言葉も私は決して忘れないと思う。それくらい嬉しかった、嬉しかったのに、心の中で彼が合格して遠くに行ってしまうことを残念がっている自分がいた。そんな自分を呪ってやりたいとさえ思ったけれど、それと同時に自分がどれだけ土方君が好きなのかを思い知ってしまった。でもこれは届くはずの無い想いだから、届けてはいけない想いだから、だから今日まで必死に隠してきた。
今日、卒業式を終えて、私はこの想いを隠してきて良かったと思っている。先走って想いを告げて、土方君に嫌な思いをさせるようなことがなくて良かったと思っている。だって彼にとって私は「先生」なのだ。卒業したって、それは変わらないのだ。これから先、もっと彼が大人になってから再び会ったときも、彼は変わらずに「先生、」と呼ぶに違いないのだ。あたしが昔お世話になった坂田先生を今でも「先生」として慕っているように。


「先生!」
聞きなれた声がして、私は後ろを振り返った。土方君が手を振りながらやって来る。ああいう姿を見るとまだ高校生だなあ、と思うのだけれどそれも今日で最後だ。
「土方くん、卒業おめでとう。」
「ありがとう、先生。俺、先生みたいな良い先生になるように頑張るよ。」
「うん、いっぱい頑張るんだぞ!」
「おう!」


土方君は笑顔で手を振って去って行く。私もそれに応えるように笑顔で大きく手を振った。
良かったと思っている。想いを告げなくて良かったと思っている。彼を先生として見送れたことを、いつまでも彼の先生であることを、良かったと思っている。 良かったと、思っているはずなのに、どうして彼の笑顔がこんなにも頭から離れてくれないのだろう、どうして彼の一つ一つの言葉が胸に突き刺さるのだろう、どうして、 震えが止まらないんだろう。
「すきだよ、土方くん。」


私はもうどうしようもなく意気地なしだ。だから 今もこうして 次に土方くんに会ったときに私が今の想いを忘れていて欲しい と、願うことしか出来ないのだ。



僕等は




そのをする
(先生と生徒というどうしても埋まらない間の中で)