きみの記憶がほどけるまえに

夕日が差し込む放課後の教室だなんてロマンチックな場所で、何が悲しくて先生と向き合いながらせっせと現国のプリントを解かなきゃいけないのか。 ああ、もうドラマの再放送終わっちゃったよ。今日いいとこだったのになあ。大体あたしは理系なんだよ。現国なんて授業だけ出てればなんとかなるんだよ。 早く帰らせろコノヤロー。なんて、口が裂けても言えないけれど。それにしてもこの人もちゃんと仕事するんだな。びっくり。いっつもあんな適当な授業しかしないくせに。 本当に分からない人だ。そこが人気の秘訣なんだろうか。

「おら、手ェ止まってんぞ。」
「先生、もうドラマの再放送終わっちゃったよ。」
「そりゃ残念だったな。自業自得だ。」
「ちぇー。」

ちぇじゃねーよ、たく・・・面倒くさそうに小声で呟く先生は、教師って言うよりただのおっさんって感じだ。あたしは諦めてまたプリントと向き合う。 ことの原因はあたしが遅刻したことへの罰なので確かに自業自得である。ああ、昨日早く寝ればよかったな。調子に乗って深夜番組とか見るんじゃなかった。 おかげで寝坊して遅刻して怒られて。授業でも寝ちゃって当てられて答えられなくて怒られて。そして最後は放課後の居残り勉強。 はあ、あたし今日ついてないなあ・・・。

「先生、教師って楽しい?」
「なんだ、いきなり。」
「んー、なんとなく。」
「なんとなく、ってなあ・・・・まあ、教師なんてろくなもんじゃねーよ。」

喋ってねーでさっさとプリント終わせろ、とかいう反応が返ってくるかと思っていたあたしは、きちんと答えてくれた先生に少し驚き、その答えに疑問を抱いた。 授業は適当だったりするけど、生徒とは仲がいい先生のことだから教師の仕事に少しは誇りを持っているのかなー、なんて思っていたからだ。 そんなあたしの心情を察したのか、先生が口を開いた。

「教師なんてなあ、出会ってすぐにさようなら、の繰り返しだぞ。背中を押してやるだけの人生だ。背中を押すって言ってもソイツの人生に深く関わってやれることなんて めったにないし、俺たちにやってやれることなんてほとんどない。当時は仲が良かった生徒だって、大人になるにつれて色んなやつに出会って教師との思い出なんて だんだん薄れていくもんだ。こっちもこっちで何千人っていう生徒を見てきたもんだから一人一人のことなんてまともに覚えてない。虚しい職業だよ教師なんて。」

だらだらと面倒くさそうに話す先生はいつもと同じだけれど、その表情はどこか悲しそうに見えた。

「じゃあ何で教師やってるの?」
「んー・・・給料がいいからだろ。」
「うっわ、やな教師ー。」

へらっと笑う先生にさっきの悲しそうな顔はなく、少し安心した。でも先生が笑うときは話しをはぐらかす時でもある。 多分、教師になった理由はそれだけじゃないんだろう。(もしそれだけだったら本当に最低だ。)あたしは教師なんてなったことないから、 どんなに大変だとか全然わからないけれど、本当に先生の言うとおりなら何か悲しいと思う。確かに生徒を見送っていくだけの仕事なんて、あまり良いものでもないかも しれないな。それに先生がいつかはあたしのことなんて忘れてしまうかもしれないことも悲しい。あたしはこれから先の将来、先生のことを思い返すことが何回あるのだろう。 先生はこれから先、一体何回あたしを思い出してくれるだろう・・・。いつかはあたしも“今まで教えてきた生徒の中の一人”になってしまうんだろうか。

「先生。」
「あ?今度はなんだ。」
「・・・ ・・・ ・・・ 先生がさ、あたしを忘れても、あたしは先生のことずっと覚えてることにするよ。」

先生はきょとん、としてあたしを見つめた後、うつむいて、「それはどーも。」なんて可愛くない返事をした。 でも、その時の先生の声がちょっと泣きそうだったのは気付かなかったことにしてあげよう。

「よし、プリント終わりっ!じゃあね先生、また明日ー。」

鞄を持って廊下を走るあたしの背中に向かって先生が何か言った気がしたけれど、振り返らずに急いで帰った。ああ、明日も遅刻してもいいかもしれないな。

俺もお前のことは忘れられそうにねえな。


(08.03.29)